何故負けるかなぁ~
たくさんのレッズサポ
鳥栖のスタジアムは入場者数22000人
スタジアムからはどよめきが・・・
それほどまでに入ったのは
レッズサポが多かったせいもあろうかと。
試合前にはアナウンスがあり
「多くのサポーターが浦和から来て下さいました。感謝の拍手を・・・」
一斉に鳥栖サポからの拍手。
あ~気持ちで負けてしまいそうですね。
案の定
3位を譲ってしまいました。
最終節勝った方が3位
いえ、あちらが勝てばそのまま3位。
勝って終わりにしたいです。
そしてそして
来年は九州が2チームに!
大分が昇格というニュースが入って来ました
あー千葉なら良かったのになぁ
来年も頑張って働けよということですかね・・・
今年最後のアウェイ
九州から勝ち点3のお土産は持ち帰れなかったです。
ごめんなさい
今日は1日身体と目を休めてあげました。
ご苦労様
最終節に向けて少しだけ頑張る1週間の始まりです。
[6回]
「シノさんを支援する会」活動完全終了
2007年骨髄移植の治療を受けるという決心をし
それを知ることとなった岡野雅行さんが発起人となって
「シノさんを支援する会」を発足して下さいました。
私は無事にドナーの方が見つかり
骨髄移植を済ませ
今こうして元気にしています。
あの時の皆さんの気持ち全てが
私の力となり生きる源となりました。
感謝の言葉だけでは表すことのできないことです。
いつも会っている仲間だけではありません。
会ったことのないレッズの選手の皆さん
会ったことのないレッズサポーターの皆さん
会ったことのない新聞を読んで下さった皆さん
本当に多くの方から支援をして頂きました。
病気という大きな痛手はありましたが
人の温かさ、感謝、命、等々
たくさんの宝物を得ました。
会も解散から3年が経ち
私の再治療も行われないという判断のもと
支援金の余剰金を全額骨髄バンクへ寄付して頂きました。
これですべての活動が終了しましたと
会の代表者からの連絡を受けました。
ご協力を頂いた皆様に感謝申し上げます。
会は終了しましたが
これからも微力ではありますが
骨髄バンクへの協力、献血活動への協力を
私のライフワークとして生きていきたいと思います。
そして中学の同級生、絵門ゆう子さんとの約束
「私はがんです」と言える社会作り。
残された私は約束を守ることしかできません。
病院で知り合った仲間も多くの人が先に逝ってしまいました。
それでも私は生きています。
申し訳ないと思いながら生きています。
生きたい、そう思う気持ちは誰でも同じなのに・・・
そんな運命の中
出来ることを少しでもやっていきたい。
まだまだ皆に甘えている私ですが
少しづつ前へ進んでいます。
本当に本当にありがとうございます。
会に携わって下さった皆さんにも・・・
長い間ありがとうございました。
[14回]
土曜日はレッズホームの試合でした。
3ヶ月ぶりにホームでの勝利♪
しかも相手は1位の広島
もう首位にはなれないけど
ここで勝つのは
大きな意味があります。
選手、サポの一体感がありました
こんな時は喜びも数倍になります
皆、皆頑張っていました。
あと2試合
全力でいきましょう!!
20年間のサポ歴
いつでも全力で応援してきた…つもりです。
そんなレッズがあったから
病気にも負けず…なのかな?
私の身体も頑張ってくれています。
皆頑張っていますね~
少しだけ頑張ることも忘れないようにしないとね(^o^)
息切れしないためにも。
[7回]